The Transformer

ー世界と自分の変容ー

4月から無職になった31歳独身女子のライフストーリー#22

この記事は、2016/6/2にStorys.jpに更新された内容です。

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答えは自分の内側に

5/31をもって、有休消化終了。6月より完全ニートです!若干ワサワサしてます...!!

さて、現在は6月のテーマである、「自分に還る」を実践中です。

 

■本を読むことを辞める

よく言われますね。社会人は本を読みなさいと。必要なことだと思います。特に、教養や人生訓などを身に付けるには大事なことだと思います。Afiaも読書は大好きで、家には(積ん読本含め)たくさんの本があります。なかでも、生き方に迷走していた20代で読んだ、いわゆる自己啓発本がたくさんあります。しかし、知識は増えましたが、本で書かれているような素晴らしい人生にはなっていません。

「自分に還る」を意識している今、人生の答えを「外側」に求めていたことにようやく気づきました。「答えは自分の中にある。」知ってますよ、この言葉。それこそ自己啓発本にたくさん書いてありますから。でもね、本当の意味で理解していなかったのです。頭では理解していたけど、どのように「実践」すればいいか、まーーーったくわかっていなかったのです。

だから決めました。今月は本を読むのを辞めます。答えを外側に探すことを、辞めます。

 

■思い通りにいかない

再生33日目。実は、止まっていた依存症状が、3日前ぐらいから若干ぶり返しています。以前ほど程度はひどくないですが、再発しています。心の声を聞けていないのでしょうか。そう言われればそうかもしれません。今ははっきりとは自覚できていません。でも、意識が頭にある時間が多いことはわかります。

こうして自分の状態をリアルタイムに綴って公表している今、理想は、順風満帆に人生が上方することです。依存症状も金輪際発症しないことを願っています。仕事を辞める前には予想もできなかった素晴らしい人生を送っていることを望んでいます。結果が起こる前にこうして過程をオープンにすることで、ワクワク感を楽しみたいと思っています。しかし、全てが期待通りに運んではいません。右肩上がりに順調に進み続けてはいません。たぶん、今は期待を頭で描いているからでしょうか。常識や知っている概念で描いた理想像を望んでいるからでしょうか。ズレが生じています。本当は、人生すべて思惑通りになるんだと思います。心と直感に従っていれば、全て思いどおりにいくんだと思います。しかし、まだまだ頭モード人間になってしまうため、なかなかことはスムーズにいきません。

 

■なんのために生きるのか

なんのために生まれてきたのか。なんのために生きるのか。二十歳頃からずっと考え続けていることです。これまではこの答えを見つけるために「何者かになろう」としていたため、「何の仕事をするか」「どんな自分になりたいのか」これらを決められずに悩んでいました。

しかし、「自分に還る」を意識している今思うことは、何になるのか、何をするのか、を探す必要はなく、「ただ経験をするために生きているのだ」ということです。人生で日々遭遇する経験を通じて、その度に生まれる感情を味わうことで、自分を知ることができる。そのように思います。経験や感情の中には、良いこともあれば悪いこともあると思います。味わいたくないこともあると思います。しかし、こうした出来事と感情があるから初めて、「自分自身」を知ることができると思うのです。人が生まれたきた意味って、「自分を知ること」なんだと思います。

 

■自分を知るために生きる

では、どんな自分を知るのか。必要な経験や出逢う人々は、予め決まっているのではないでしょうか。全て、必要なタイミングで起きているのではないでしょうか。自分の短い人生でも、抗った時はうまく進まず、一見難しそうなことでもスムーズにことが運んでいった経験は何度とありました。たとえば人生を海に例えるなら、上手に泳ぐ方法を学んで、到着地点を決めて、そこに向かう泳ぐ努力をするより、ただ波に乗っているほうが、自然体でいられるし、無駄な労力を使わないで済むし、勝手に自分を運んでくれます。いつ嵐がくるのか、大波に呑まれるのか、これはたとえ話ではなく人間にはコントロール不可能なことです。自然界に住む人間ができることではありません。どんなに対応策を練って、訓練しても、嵐に遭う時は遭うし、絶対に避けられない時はあります。どうしても避けたくても、天災に遭う時は遭います。それならば、これは自分にとって必要な出来事なんだと受け入れるほうが、よっぽど楽です。どうして自分に大波を起こすんだ!と自然に怒りをぶつけたところで、その怒りを受け容れる相手はどこにもいません。自分に還るって、自然に還ることと通ずる部分があるのかもしれません。

でも。人間と自然は全く同じでしょうか。地球に住む生物として、自然と共生することは大事だと思いますが、人間は自然になれないと思っています。なぜなら、人間には「意識」があるから。自然や地球にも意識があるということは聞きます。でも、人間のそれとは違うと思うのです。ならば、人間としての「意識」をどう使うのか。それは、波乗りをしている自分に意識を向けて、その状態を感じ切ることではないでしょうか。今の自分を感じ切ることで、また同じ波にのりたいのか、のりたくないのかがわかってくるのだと思います。今の状態を感じ切ることで、ようやく何を望むかがわかるのではないでしょうか。そうして明らかになった状態に意識を向けることで、泳がなくても自然とそこにたどり着いているのではないでしょうか。

 

人体同様、70%が水分(海)で成り立っている地球。地球の自然法則を、人生の生きかたに当てはめると、同じ原理が作用しているのではと思うことが多くあります。そういえば、昨日は江ノ島にいって久しぶりに海を見ました。だから思い出したのでしょうかね。

4月から無職になった31歳独身女子のライフストーリー#21

この記事は、2016/5/31にStorys.jpに更新された内容です。

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なぜ人に会うのか

仕事を辞めて時間があるので、会いたい人に会う時間の使い方をしています。

そんなことを一ヶ月以上続けて気づいたことを記します。

 

■「人が好きなんだね」

Afiaは昔から人材開発に興味があります。それを知る会社の人から、「Afiaさんは人が好きなんだね。」と言われたことが何度かありました。自分では意識していなかったので、「そうなのかなー」と若干クエスチョンマークがあり、100%納得して人が好きだとは思いませんでした。でも、人がどういやって自分の得意分野や好きなことを見つけて、それを伸ばしていくのか、という人の可能性の秘密を知ることには強い興味がありました。

 

■人材に興味がある理由

他人の可能性に興味があるのは間違いないのですが、その根本にあるのは、「自分の可能性」への興味です。自分自身がどんな能力を秘めていて、どうすればそれを開花できるのか、ここに最も強い興味があり常に探っていることでした。社会人になって「人材」という分野に興味を持ち始め、海外ボランティアをしていた6年ほど前に、「人材開発」という分野を知り独学を始めました。どれも、他人の可能性への興味と供に、自分自身を知りたい、という想いもいつもセットでした。

 

■人材開発への興味が薄くなった

退職を決意した時は転職活動をしていました。その時に選んだ分野は「人材開発」です。何年間も興味あるものの従事してこなかった分野なので、やっとの想いで就けるという想いがありました。しかし、企業に雇用される選択肢を捨てた今、「人材開発に携わりたい」という想いも薄まってきました。この分野に今も興味があることに間違いはないのですが、興味が移ろいやすい性格なので、そのせいかなと思っていました。

 

■人に会いたい衝動

さて現在、毎日ほどの頻度ではないですが、会いたいと思った人には声をかけ、足を運んでいます。「やりたいことを今やる」、を意識していることもあり、今最も時間を費やしていることかもしれません。連日多くの人々に会う生活は羨ましいな、自分もそうしたいな、と思いました。

そしてふと感じたこと。「なんで人に会いたいんだろう?」

Afiaが会いたいと感じる人達は、気づきを得られる人だったり、新しい自分を発見できる人だったり、自分が知らない自分のことを教えてくれる人、という特徴があることに気づきました。一緒に過ごしていて楽しい、心地いい、というのももちろんあるのですが、それ以上に勝るのは、会いたい人を通じて「自分を知る」機会があるからです。会いたい相手のことを知りたいというより、「自分自身を知りたかった」のです。この気づきは深く腑に落ちました。この気づきに至ったのも、先日、来月6月の目標を「自分に還る」に決めたからだと思います。本や情報や人など、答えを外側に求めがちだった思考を、自分の内側への探求に矢印を変えたところ、自然と気づいてきました。

 

■他人に興味はなかった

そこで、昔言われたあの言葉、「Afiaさんは人が好きなんだね。」を思い出しました。あのとき感じていた違和感は、やはり正しかったようです。Afiaはそんなに人に興味があるのではありません。「自分自身」に興味があるのです。自分を知りたいのです。おそらく、これまで外側ばかりに向けていた意識を常に内側に向け続け、常に自分が自分に還る状態を通して、初めて他者への本当の興味・関心が湧いてくるのだと思います。

今はまだその過程の始まりです。

4月から無職になった31歳独身女子のライフストーリー#20

この記事は、2016/5/30にStorys.jpに更新された内容です。

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承認欲求

仕事を辞めて気づいたことの一つ、承認欲求について書きます。

 

■人生に最高に高まった承認欲求

今から3年ほど前。海外駐在生活が一年を過ぎた頃。新規事業立ち上げとは言うものの、思った通りに結果が出ないことに焦りや憤りを感じていました。当初描いていた実績や自分像とのズレに、やるせなさを感じていました。未知の新興国での事業だったため、若干期待されていた部分が拍車をかけていたとも思います。通常、海外での新規事業立ち上げは3年間で軌道に乗れば大丸です。そんなこと、未熟な自分はよくも悪くも知らなかったので、一年以内の累損一掃を目指していました。もちろん、こんなたいそれた実績を上げる実力がなかった自分は、自分自身に焦りを感じ始めていました。こんなはずじゃない。本当はもっとできる。日本だったら、自分はもっと実績を出せる人間なんだ、と。

 

■「認められたい」

そんな想いとは裏腹に、結果は全く伴いません。それでも、目標からかけ離れた実績を毎月評価されます。上司からのあたりが段々きつくなります。些細な言葉も、妙に胸に突き刺さります。

そうして芽生えた感情が、「承認欲求」

上司に認められたい、自分はもっとできる人間なんだ。今の条件が悪いだけなんだ。現地の状況を知らないじゃないか。もっと自分の環境や条件をわかってよ。海外での厳しいビジネス環境でやってるんだよ。。。etc.

でも、そんな自分の気持ちを伝えられませんでした。一番認めて欲しかった上司は、直属の上司ではなく階層も離れていたため、直接話す機会はあまりありませんでした。それも重なり、上司への感情だけが日に日に蓄積されていきました。いざミーティングの機会があっても、限られた時間で自分の想いを伝えることは難しいことでした。想いを封じ込める度に、心臓がきゅっと締められ、鼓動は高鳴り、息は浅くなり、涙腺が弱まる自分がいました。

 

■承認欲求

頭ではわかっています。「他者からの承認ではなく、自分が自分を認めることが大事」なんだと。そんなの何百冊も読んだ自己啓発本で何度も目にしました。言われなくても知っています。でも、知っていることと実践することは、天と地ほどの差なのです。わかっているけど、「できない」のです。どうしようもないのです。心の声を封じ込めることしかできなかった自分には、自分の認め方なんて到底わからなかったのです。それよりも、上司からの承認がどうしても欲しかったのです。少しでもいいから、よくやってるな、と自分を認めて欲しかったのです。でも、どうしても言えないのです。実績をだしていない自分が偉そうなことなど言える身分ではないのは重々承知なので、上司に想いを伝えるなんて怖くて怖くてできないのです。そんな勇気、傷付いた自分には到底なかったのです。

 

■認めてもらうことを諦めた

こんな想いを抱えたまま、2年ぐらい過ごしたと思います。時間の経過に流されるまま、担当上司が変わりました。そして、駐在生活が3年を過ぎるころ退職を考え始めました。会社にもう自分はいない、ということをリアルに考え始めると、上司からの承認なんてどうでもよくなりました。当時の仕事に対しても思っていた以上にやりきった感を得ていたので、過去の上司からの承認なんて得られなくても、会社を去ることに未練はありませんでした。一種の「諦め」です。しかし、その頃から、承認欲求がいつの間にか減っていることに気づき始めました。当時の仕事に納得感を得ていて、他者に求めるものが少なくなってきたとき、承認への種着がなくなっていて、結果、承認欲求も減っていました。

 

■自分が自分を認めること

今になればよくわかります。なぜ、あんなに承認欲求が高まっていたのかを。それは、「心の声を封じ込め続けていたから。」確かに感じる大きな感情があったのに、心の声は必死に泣いて叫んでいたのに、それを決して外に出すことはなく、まるでなかったことのように抑え込んでいたから。「心の声を抑えることは、自分自身を認めていないことと全く同じ」です。確かに湧く感情を認めないことは、そこに自分がいないとすることと同じです。当時の自分は、心の声を肯定できずに否定していたので、自分が自分を認めていなかったのです。その結果、他者が自分を認めないという事象として現れていたのです。これは、自分へのメッセージでした。上司が自分を認めないことを通じて、自分が自分を認めていないことを教えてくれていたのです。

 

これを書いている今、自分のスケジュールの勘違いで元職場近くのカフェにいます。それもあり、前職での経験を思い出し、過去に感じた承認欲求についての気づきがあったので今綴っています。

今は、承認欲求からは全く遠いところにいます。それは、会社を辞めたからという外部的な要因だけでなく、心の声に耳を傾けている自分がいるという内部的な要因もあるからです。

自分で自分を完全に認められた先には、どんな他者をも認められる自分がいるのかな。