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The Transformer

ー世界と自分の変容ー

自分自身に、問いかけること

今日は素晴らしい出逢いがあった。

ある知人の奥様と初めてお会いしたのだが、考えに強く共感し、生き様に大きな刺激を受けた。

 

知人からは、1,2年前から奥様の話しを聞いていた。当時から、会ったことはないものの生き方に魅力を感じていて、いつかお会いしたいと思っていた。これまではその機会がなかったが、今日やっと実現した。

 

その方は、銀行→大手民間企業→フリーランス→出産→NPO/フリーランス準備、と自らの人生を切り開き続けている女性だ。その根底にあるのは、自分自身に問い続ける心の姿勢と、沸き起こる想いを行動に出し続ける姿だと思った。心と情熱に従い、オンリーワンの道を切り開く生き様が、とてもカッコよかった。

 

そんな生き方に魅了され、何が彼女の人生を切り開き続けているのかを、考えてみた。

 

1. 自分への問いかけを、ひたすら続けること。

携帯しているノートを少し見せてもらったが、文字がびっしりだった。何を書いているのか聞いたところ、日記風のこともあれば、気になった言葉を書き留めたり、考えたことを書いたりと、様々だという。お話しからも垣間見えたが、おそらく自分自身への問いかけを相当している。何を感じ、何に興味を持ち、何を望んで、何を望まないか、そんな問いかけを常日ごろ続けているのだろうと思った。仕事や生き方に対する彼女の返答が、常に明確だった。自分が何者かを知るには、経験を通じた感情や思考を観ることだと思うが、それは書き留めないと瞬時に忘れてしまう。また、経験だけで足りない部分は、自分自身へ自ら問いかけることで、さらなる深堀りができるのだと思う。

 

2. 興味をもったら即行動

自問で自分を知ることはできるが、そこに行動は介在しない。想いを現実化させるのはやはり行動のみ。とにかく彼女のアクションは早い。今年4月、あることに興味を持ったそうだが、実現のためにNPOでの勤務時間を変え時間を確保し、海外に視察に行き、webサイトを立ち上げたそうだ。すべてこの3ヶ月間で行ったことだ。(乳児が一人いて、旦那さんはほぼ海外出張にもかかわらずだ。)「とにかくやらないと何もわからないし、やればどうにかなる。行動を起こすのにリスクなんてほとんどない。悩む前に行動している。準備は不要。」そう言っていた。深く頷いた。

 

バランスよく3つ書きたいとこだが、この二点にすべてが集約される。

 

 

私はなぜ彼女の生き方に魅了されたのだろうか。 

自分は何に興味があり、それをどうしたいのか。

行動なしに、考えるだけで答えを出そうとしていないだろうか。

 

 

今日の出逢いは、自分に何をもたらしたか。

この出逢いに、何を意味づけるか。

 

 

 

幸せであったと、気づくこと

最近の自分。

 

起きたくなったら起きる。

眠たくなったら寝る。

食べたいものを食べる。

家に帰るとご飯がある。

やりたいことをやる。

やりたくないことはやらない。

会いたい人に会いにいく。

会いたくない人には会わない。

仕事はないけど探さない。

お金は少ないけど、使いたいものに使う。

 

そんな生活。

。。。やばい、人生で今一番幸せだった!!!!

 

そりゃ、お金作る方法考えたり、底をつきそうな貯金を引き出すとザワザワする瞬間はあるけど。

 

何もしていないときは、けっこう幸せだった。穏やかだった。というか、今がそうだ。ハッピー!というような感情の高ぶりではなく、じわ〜っと感じるピースフルな感じ。

 

 

つい3ヶ月前。仕事をしていたときの状態とは大違い。

物事がうまく進まないことにイライラし、仲間や上司の発言にイライラし、起こってもないことを考えまたイライラし。翌日起こるであろうことを考え憂鬱になり、達成できていないことに苦悶し、やらなきゃいけない仕事にストレスを抱え。

ありとあらゆるネガティヴでストレスフルな感情を、常に内部発電させていた。自分でネガティヴな感情を生み出していることは分かっていたけれど、気づくとこの思考回路が無意識に生まれていた。この止めどなく流れる電気回路を止めることは、すごく難しかった。

 

それだけではない。常にがんばろうとしていた。ベキネバ思考に囚われていた。一般論というルールに無意識に従っていた。

情報が糧だった。目標があることが美徳だった。計画通り進んでいることが優秀の証だった。

 

結果、思考能力は鍛えられた。姐さんと呼ばれることが増えた。

一方、感じる力はひどく落ちた。可愛げがなくなった。

 

些細なことで感動したり、鳥肌を立てていた過去の自分は、いつの間にか消えていた。豊かな感受性はその感度を落とし、意識しないとイライラ以外の感情を表に出せなくなっていた。

 

こうして思い出すだけでもあのストレスが蘇ってくる。

 

そーーーんな過去の自分。でもたった3ヶ月前の話し。その後の自分はといえば、やりたいことをやり、会いたい人に会いに行った。古い価値観を頭からそぎ落とした。自分を縛っていた常識論やルールから解放させた。頭だけに向けていた意識を、ハートと肚に意識的に落とした。心と体が何を感じているかに耳を傾けるようにした。自分だけでは気づけなかったから、一歩先行く仲間の指摘に助けてもらった。優秀なビジネスマンや経営者の話ではなく、代わりに心を扱う人や、自由人・アーティスト、哲学の思想や言葉を取り入れた。結果、外部=他者に情報や答えを求めすぎていたことに気付き、それを辞めることに意識を向け、内部=自分に全てが在るのだと気付き、自分の声を聞くようになり始めた。自愛もしていなければ、自分を愛するという感覚もわからなかったが、ある日、自分はすでに愛されていたのだと気づくようになった。

 

なぜ変わったかと問えば、退職以来一切仕事をしてこなかっただけのことだと思う。環境が変われば必然的に出会う人が変わり考え方が変わる。もう一つ挙げるならば、自分自身が変わる覚悟と準備ができていたのだろう。準備がくるタイミングは人それぞれで、気づいたら訪れているものだと思う。

 

過去の自分との比較は面白い。いまとなれば、当時の自分が可愛くて可笑しくてわらっちゃう。

そんな過去の状態があるから、より実感できる。いまが、すごく幸せであったと。

過去の自分のように、達成感ややりがいなど、なにかを目指して得ようとすることは、終わりのない登山をひたすら続けるようなもので苦しい。

それよりも、いま自分が何を感じたいかを選ぶのだ。

幸せだと思った瞬間が、最も幸せなのだ♡

伝わる言葉、伝わらない言葉

前回の記事では、どんな気持ちを乗せてお金を使うかについて書きました。

今回はその応用編として、「どんな気持ちで言葉を発すか」について触れたいと思います。

 

端的に述べます。想いを乗せて発した言葉は、届きます。なぜなら想いが言葉に乗っているから。お金が引き起こす原理と全く同じだと思います。断定した物言いですが、証明できるものは自分の実体験ぐらいです。しかし、私はそのように強く信じています。

 

実例の一つですが、先日友人と話していたときのことです。相手の私に対する発言に対してイライラしました。ムカつきました。しかし、いつもの私はこうした感情を捉えたあと頭で処理するクセがあるため、ムカつきを抑える方法を探っていました。「気にくわないけど、こういう考え方もあるよな。落ち着こう。」「ムカつくけど、自分の視点を変えて考えてみよう」など。

 

しかし、そこに感情があったことは確かです。思考で処理しようとしても、感情は確かに発生していたのです。こうした感情は、いくらその場で思考で抑えようとしても、必ず後で沸き上がったりと置きどころが無くなってしまいます。しかしこの時は、相手は本音を受け止めてくれるだろうという確信があったこともあり、「言いたいことを言おう」と括って思いを出しました。感じたことを伝えました。そしたら、意をつかれたかのように相手は微笑みで受け止めてくれたのです。微笑みというよりももっと大きな、包み込まれる優しさや愛のようなものを感じました。

 

これまでの自分は、悪いと言われる感情「ムカつくや嫌い」を人に伝えることを苦手としていました。そして、言う必要もないとも思っていました。しかし、良い感情だけを出して、悪い感情はいつも抑える必要はないのだと思うようになりました。悪い感情を出すことが、必ずしも悪い結果を引き起こしたり相手の気分を害するわけではないのだと知りました。ネガティブな感情でも、「本音を伝えたい」とか、「この人には感じていることを全て出したい」などという思いがあれば、根本にあるものは悪ではありません。素直な想いです。そして、感情を素直に出すということは、状況をさらに悪くするよりも相手が受け止めてくれることが多いのだと知りました。感情を発す時の「言葉に乗せる想い」が、そのまま相手に伝わるのです。

 

この私の件については、もはや発す前から私のムカつきは相手に伝わり読み取られていました(笑)それもあってか、相手は私が本音を出してくれたことに喜んでくれたのです。さらには優しい愛で包みこんでくれました。。♡

 

言葉やお金など何かを出す時に乗せた「想い」というのは、「エネルギー」として放出されているのだと思います。そしてこのエネルギーは循環していて、ポジティブなエネルギーは良い結果を、ネガティブなエネルギーは悪い結果をそのまま引き起こすのだと思います。誰にも見えないし捉えようのないものです。しかし確実に、結果として目に見える、認識できる現象として現れるようです。

 

ブログだって全く同じだと思います。PVやお金稼ぎのために書いているのか、ただの感情のはけ口として書いているのか。はたまた、誰かに届けたいと思いながら言葉を綴っているのか、誰かの役に立つことを願って想いを込めているのか。

自戒をこめて、この文章が誰かの助けや役に立つようにと願いながら、お届けします。