The Transformer

ー世界と自分の変容ー

想いは共鳴させるもの、アイディアは共有するもの

一ヶ月前からTwitterを(今さならながら)始めた。

すると、出るわ出るわ数多の言葉たちが。そもそもヒマだから、という理由もあるけれど、時間があるから一つ一つの自分の想いや考えに意識を向けられるのだと思う。こうした想いや考えを普段より少し味わうと、それらが言葉として自然に表れてくる。

 

 

自然と湧き上がる言葉というのは、他人と共鳴・共有するために出てくるのだと思うようになった。例えば、湧き上がる想い。誰しも少なからず経験したことがあると思うけれど、なにかものすごく嬉しいことがあったとき、喜びを感じたとき、大きな感動を味わったとき。そのようなとき、「誰かにこの想いを伝えたい」と感じることがあると思う。まさにそれがSNSがここまで発達している理由だと思うのだけれど、日常の小さな感情から大きな崇高な想いまで、それらはとても尊いものだと思うのだ。

 

私自身はといえば、昔から自分の感情を伝えるのが苦手だった。小さな嬉しい・楽しいは言えても、嫌い・むかつくというようなネガティヴな感情をだせず、同様に、好きという気持ちもだせなかった。しかし、まれに普段なら言えない自分の気持ちをだせたときもあり、そうしたあとは素晴らしく嬉しい感情を味わうことが多いと、今になってやっとわかってきた。ここ最近、自分の感情を意識的に見つめて出そうとしていたこともあって、素直な感情を出すことで、人と分かち合う嬉しさを感じることが少し続いていた。そして思ったのは、「内から自然と湧き上がる想いというのは、人と共鳴するためにある」のだと。

 

エゴの自分が表層的に感じる感情は、また別物だと思っている。ちやほやされて嬉しいとか、ちょっとしたことでムカつく感情とか。それよりも、自分の奥深く、内側から湧き上がるように出る感情というのは純度が高いように思う。純度の高い素直な感情というものは、自分一人だけに留めておいてはもったいない。一人で味わうこともまた素晴らしいと思う。しかし、想いを人に伝えると、人と「共鳴」することができる。そこに、自分だけでは味わえなかった、「分かち合う喜び」が生まれるのだと思う。人と繋がる力は偉大だ。

 

アイディアも同様に、自分の内に留めていては一瞬にして消えるだけだ。そして多くのアイディアというのは、湧き上がっては瞬時に消えていっているのだと思う。しかし、どんなに素晴らしいアイディアでも形にしないと現実化しない。三人寄れば文殊の知恵だし、伝えることで予想もしない助けが舞い降りたりする。想いを伝えるのと同様で、エゴから生み出されたアイディアとは別物だと思っている。利益や損得で出たアイディアは、他者が幸せにならない。

 

エゴや頭で考え出した想いやアイディアは、自分の内に留めておけばよいと思う。そうではなく、ふと降りてくるもの、意図せず自然と湧き上がる想いやアイディアは、もはや自分だけのものではないのではないか。外側にだすことで、感情を他者と共に感じ合い、多くの人が幸せになるようなアイディアが生まれる。共鳴・共有するために、感情やアイディアは自然に湧いてくるのではないだろうか。