The Transformer

ー世界と自分の変容ー

4月から無職になった31歳独身女子のライフストーリー#3

この記事は、2016/3/29にnoteに更新された内容です。

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前回は、退職を決意した経緯を述べました。

プロセスの経緯を述べたいと思いますが、その前に、海外駐在への経緯を、中学時代のルーツにまで遡って記します。

 

■衝動に駆られて望んだ海外駐在

3年半前に決まった海外赴任。自分で手を挙げて望んで行きました。しかし、衝動に駆られてけっこう勢いで乗り込んだようなものなので、とりわけ目的がありませんでした。

ときに物事はトントン拍子に進むものです。今でも理由がわからないのですが、社内である国への進出話が持ち上がったときのこと、その国名を聞いたとたん、「この国に行くのは自分だ!自分しかいない!」という根拠のない衝動に駆られたのです。当時27歳という若輩者にもかかわらず果敢にも関係者へのアピールと根回しをし、事業立ち上げでの赴任が決まりました。

(今振り返ると、なんとも恐ろしい決定を会社は下したものだと、自分ごとですが感じます。。)

 

■目的のない道を歩くこと

行けないのではないか、という心配はあったものの、苦労なく割とすんなり望みは叶い、特に目的がないまま海外駐在生活が始まりました。

最初の一年ぐらいはがむしゃらだったので、先のことを考えるより現状をどう乗り切るかで精一杯でした。それでも、何のために海外駐在に挑戦しているのか、という自分への問いは、赴任当初から常に頭の片隅にありました。

2年目。そろそろこの問いが頭の上を浮上してきます。意識の大半を占めるようになってきます。当時29歳。なんのためにこの国にいるのか。なにを成し遂げたいのか。その先のなにに繋がるのか。来年から30代。どのような30代を過ごそう。そんなことが常に頭をよぎっていました。そして答えは見つかりませんでした。

 

■同じく衝動に駆られたバドミントン部

駐在以前も、進路の分かれ道には何度か遭遇しました。人生で初めて進路に悩んだのは、中学一年生の部活動選びです。当時の自分にとってはとてもとても大きな悩みと決断でした。

中学入学直後の5月頭。仮入部届けを出す季節です。仲のいい友達がソフトボールクラブに仮入部しました。そして、その子が選んだから私も選びました。自分の意思は皆無に近いです。しかし、その友達が仮入部届けを出した後に、バドミントン部に行くことを決めたのです。仲のいい友達がいなくなってしまうソフトボールクラブ。自分の選択ではなかったので、その子がいないソフトボールクラブにいる意味が突如としてなくなってしまいました。バドミントン部には、私も一緒に体験入学をしに行っていました。そこで、私自身もバドミントンの楽しさと興味に駆り立てられ、バドミントン部に入りたい!という自発的な想いが湧き上がりました。ここで私は、13年間という(当時は人生で初めての)大きな迷いにぶち当たりました。というのも、私がいた中学のバドミントン部は屈指の強豪校だったのです。どれぐらい強豪かというと、全国大会常連校、最高成績団体戦ベスト8。顧問の教え子は元オリンピック選手。年間の休みは10日程度。部員の半数以上は経験者、かつ県外からの引き寄せ。そんな部でした。それに対して、自分は全くの初心者。運動神経に自身はあったものの、必要な体力レベルが高すぎます。しかも、強豪校とは中学といえど遠征が頻繁にあります。部活用品も一丁前に揃えます。休みがなく拘束時間も長いので、親のサポートも必要で心配もかけます。

 

■衝動→選択→理由

そんな厳しい条件は頭でわかっていましたが、どうしてもバドミントン部に入りたい!という強い衝動に駆られました。苦労することは目に見えているのに、それでもどうしても入りたかったのです。ソフトボール部に仮入部したけど、それを変えてまでも入りたかったのです。その理由は今でもわかりません。しかし、仲のいい友達が入るから、という意思の欠如で決めたソフトボール部の時とは異なり、自分の中から強く湧き上がってた「バドミントン部に入りたい!」という強い想いがありました。今振り返ると、得体の知れない衝動に強く強く突き動かされてたと感じます。

結果、親に猛反対されたものの、その反対を無理やり押し切り説得してバドミントン部に入部しました。そして、3日で入部したことを後悔しました(笑)練習がきつすぎました。。

その後は、引退するまで毎日辞めたかったです。練習のハードさが半端じゃなく、顧問は学校一怖い先生で、本当に本当に毎日毎日、辞めたいと思っていました。一時期、友達関係もうまくいかなくなり、練習は死ぬほど厳しくて、思春期特有の悩みの多い時期だったこともあったりと、「こんな生活、死んだほうがマシだ」という考えが頭をよぎったことがありました。本気で死にたいわけじゃなかったけど、「死」という考えが浮かんだのは初めてのことだったので、今でも鮮明に記憶に残っています。

辛い毎日ではありましたが、なんとか最後までやりきりました。途中で辞める部員もいましたが、辞めずに続けました。これは、とてつもなく大きな自信となりました。成功体験とは少し違うけれど、乗り越えた感は半端なく高いです。また、辞めたい、と毎日思ってはいたものの、本気ではないこともわかっていました。本気で辞めようと思ったことは一度もありませんでした。なぜなら、自分の意思で決めたことだったからです。3日で辞めたいと思ったけれど、自分の強い意思で選択した道だったため、それを途中で放棄することはあり得ませんでした。辛く厳しい道中は、この強い意思によって支えられていました。

今でも、自分の人生でこの中学時代ほど大変だった時期はないと感じています。むしろ、わりと若い時に体力的にも精神的にも負担の大きい経験をしたので、けっこうなんでも乗り切れます。理由はやはり、自分の意思で決めた選択を最後まで貫き通した、これにより得た自信があるからです。

(しかも、在籍中に全国大会団体戦優勝、個人戦シングル優勝を成し遂げ、所属した3年のうち最も栄華を極めた2年間を過ごしました。。私はもちろんベンチ側でしたが。)

 

■自分で選んだ道だから

バドミントン部は入部した「目的」があったわけではありません。しかし、選択した「理由」は極めて明確でした。「自分で選んだ道だから。」むしろ、この想いだけで3年間を乗り越えたようなものです。

なので、現在の海外駐在に至った経緯とはすこーし異なるのです。今回の場合は、「理由」のわからない衝動に駆られてのことだったので。そのため、3年間悩み続ける結果となりました。

 

■出来事の意味付け

バドミントン部と海外駐在。

同じ「衝動」に駆られて選んだ選択。

しかし異なるのは、「選択の理由の有無」

理由なんていらない、なんて言葉はよく耳にしますが、「意味付け」によって理由を持たせることはけっこう重要なのではないでしょうか。「意味付け」がもたらす力は偉大です。過去の出来事に対して「後付け」ですが、人生への咀嚼力がつき、その後の人生の歩み方が大きく変わる気がします。

 

次回は、海外駐在を選択した「意味付け」について。